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「優しい」を"やっている" と苦しくなる。囚われから自由になろう。

更新日:2024年2月11日

 「優しい人は病みやすい」という論調の話は、心の話界隈ではよくありますが、いささか乱暴な表現だなと感じています。「優しい人をやってる人は病みやすい」と言った方が本質に近いように思います。


 この"やってる"自覚がない場合が多いがゆえに病みやすい。


優しいの裏で、嫌われたくないをやってる。

優しいの裏で、いい人に思われたいをやっている。

優しいの裏で、褒められたいをやってる。


優しいの裏で、怒られないようにをやってる。


 これらが無自覚なっているが故に、

一生懸命、真面目に、人を思って生きているのに、人といるとなぜか疲れたり、友達やパートナーといるのに、なんか孤独感を感じたりするという人も少なくないように思います。


 私自身もそうでしたが、周りを見ていても「優しいをやっている人」 が圧倒的に多い。


やっている"が故に苦しい

やっている"が故に都合よく使われる

やっている"が故に文句も言わない(匿名では言う)


 多くの場合"やっている"自覚がない上に、「私は優しいから」「私は尽くすタイプ」と正当化して事態を拗らせてしまうケースは少なくありません。



うっすらとでも都合が乗っているから苦しくなる。


 優しいを"やっている"時、自分自身を蔑ろにしています。


 自分を蔑ろにして誰かのために尽くすのも悪くないとは思いますが、多くの場合、余裕がなくなると「私はこんなにしてあげてる"のに"」 という気持ちが込み上げてきます。


 調子いい時、余裕がある時は「のに」がでてきませんが、

ちょっとでも足元がゆらぐと「のに」が出てきがちです。


 報われないと感じるのも、報われるためにやっているという都合がうっすらとでも乗っているから、そう感じるのです。


 このように丁寧に自身の内側と向き合っていくと、

「誰かのため」とか「尽くす」とか「優しく」とか「親切」と言っている時点で、 そこには自己都合がどっさり乗っかっていることがわかります


その在り方だと、いつか疲れて限界が来て破綻しやすいのです。


自分自身の都合に影響される私から、囚われに影響されない私へ。


 優しいのではなく、優しいをやることで、都合を握る私の恐怖を和らげようとしています。


と書いた時に


 「そんなことない!」「本気で相手のことを思って」反発したくなる気持ちが湧く人が多いのはわかりますし、きっと以前の私もそういう反発する気持ちが起きていると思います。


 この反発こそが、自分自身と向き合うことを難しくしている一つの要因でもあります。

反発したくなる私を感じつつも、もう一歩読み進めてみてください。踏ん張りどころです。


「嫌われたくない」という都合や

「いい人に思われたい」という都合、

「褒められたい」という都合

「怒られないように」という都合


これらの都合はうっすらとは自覚している場合もありますが、

無自覚であることがほどんどです。


 これらの「都合」が仮にみえていて、頭でわかっていてもなお、相手に合わせに行くのは怖いからです。


 嫌われるのが怖い、孤独になるのが怖い、否定されるのが怖い等々。


この自身の都合に無自覚に囚われているがゆえに、

頭でわかっていても、やってしまうのです。


 「人に好かれたい(嫌われたくない)」という囚われの私で生きていると、

その隙に、鬼は簡単につけ入ってきます。 そして、都合の良いように利用されていると気がつきながらも、なお「役に立てて良かった」と、自分を正当化しては苦しくなっていきがちです。 


 そうかといって、無理やり「優しいをやるの」を辞めようとしても苦しいのは、都合に影響されている私のままだからでもあります。 


 その都合に影響されている私のまま、巷に氾濫している「恐怖を受け入れよう」とか 「嫌われてもいいんだ」というそれっぽい情報を安易に適用しようとしても、

ほとんど効果はありません。 


 そういう浅瀬で対処をしても葛藤が多いだけで、

本質的解消にはならないのは、都合の影響を受けているからです。


 都合を下そうとしても、都合に影響されている私のまま下そうとするのは葛藤を生みます。都合を下そうとすることなく、 下ろしている。 向き合い方を極めていくなら、 これが普通にできてきます。


 あらゆる都合から自由になり、スッキリ生きていけるのが自覚的なアプローチです。


都合の影響を受ける奴隷の心持ちから、

都合があってもなくても気にならない主人の心持ちへ


 都合をできる限り下ろしたら、「優しくなくなっていくのでは?」と疑問が湧くかもしれませんが、そうではありません。その行為に意図という雑味がなくなっていきますので、もっとナチュラルにただの行為として行うことができます。そこには相手の反応に対する期待や見返りなど一切求めない、ただの行為として顕れていきます。


それを外側から見たら「優しい」となるかもしれませんが、当人はそんなことはどっちでも良くなってきます。


優しく"しよう"としなくても、自然とそうなっている。

その時、雑味も力みもない、スッキリとした生き方ができる様になってきます。


都合を下そうとして下すこともできません、

意図を無くそうとして意図を無くすることはできません。

都合を持つ私、意図したい私も蔑ろにせずに丁寧に向き合っていった時、

自然と太陽のような私が顕れてきます。


 自覚カウンセラーが、あなたの内側と一緒に向き合っていくことで、

都合に囚われないあり方を整えていきます。


とことん、向き合いましょう。

とことん、私を知っていきましょう。

そして、とことん自由でありましょう。


自分自身に向き合うことに卓越した、自覚カウンセラーがあなた自身と向き合うことをとことんサポートしていきます。


 

●自覚カウンセリング

自分自身と向き合うことに卓越した自覚カウンセラーがあなたの悩みに一緒に向き合います。

ご自身では自覚していない私、自覚していない囚われを一緒に丁寧に向き合ってきます。

どのような私も蔑ろにせずに向き合うことで、対処ではなく本質的な解消に踏み出していきませんか。


詳細はこちらをご覧ください 自覚カウンセリング


●自覚基礎コース

ご自身で自覚を実践されていきたい方は、自覚基礎コースをご用意しています。

日常で自覚を実践しながら、定期的な面談で、自覚の精度を上げていきます。

あらゆる囚われから自由になっていきたい方、本気で自分自身と向き合っていきたい方

是非お待ちしております。


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