「思考」や「感情」は既に咲いた花。内側に向き合っているようで、外側と向き合っている。
- 古澤 慎之介
- 2024年3月5日
- 読了時間: 4分
自分自身と向き合う。
日常的に使われる表現にも思いますが、
本質的に向き合えている人はどれくらいいらっしゃるでしょうか。
自分自身と向き合うと言った時、
多くは「自分自身の内側と向き合うこと」を指します。
内側とは何を指しているのでしょうか。
巷で見かける「内観」というものを調べてみると、以下のように書かれています。
内観法とは、「自分を知る」ための方法として開発された自己観察法です。
内観法創始者である故吉本伊信先生が昭和28年奈良県大和郡山市に内観道場を開設したのが始まりで、昭和42年頃に今の方法を確立され現在に至っています。
身近な人に対する自分の行動を「お世話になったこと」「お返ししたこと」「ご迷惑をかけたこと」という3つの観点で、記憶のある頃から3年程度で区切りながら、年代順に具体的なエピソードを思い出し、設定した対象者との関係を通して、自分自身を観ていきます。
内観以外にも、感情を観察するワークや、感情や思考を「なんで?」「なんで?」と深堀していくワークなど様々なものが、内側と向き合うワークとして存在している様です。
私自身も、以前は自身の感情を分析したり、なぜそういう言動が出てくるのかを分析することが多かったように思いますが、「自覚」を実践する様になって、これらがズレた向き合い方であるということがハッキリとわかってきました。

内側と向き合っているようで、外側と向き合っている。
「思考」や「感情」は一見内側の様にみえますが、それは外側です。
外側というのは、現象です。
思考や感情は、顕れであり、既に咲いた花です。
思考を「なんで?」「なんで?」と分析的に掘り下げて出てくるのは、
新たな「思考」です、思考は空想とも言える代物です。”きっとこうに違いない!"とか"きっとこうなはずだ"と信じて蓋をするだけに成りかねません。この時、外側のことを、外側の別の何かを使って対処しようとしています。
感情を観察するのも、既に咲いた花を観察している以上でも以下でもありません。
思考や感情を観察するという観点に立つことで、若干思考や感情から距離ができ、なんとなく軽くなった気がすることはあり得ますが、あくまで現象に対する対処法の域を出ることはないでしょう。
巷で言われる「自分自身と向き合う」ということのほとんどが、
現象と向き合っているものに見えます。
もう一度書きますが、「思考」や「感情」は 内側の様にみえますが、
それは外側です。外側というのは、現象です。
外側と向き合って、 それをどうこうしようとしても、
そこには必ずと言っていいほど葛藤が生まれます。
外側と向き合って、新たな思考で上書きしたとしても、
臭いものに新たな思考で蓋をしたにすぎず、その場はやり過ごせても、
また、どこかで同じ花が咲きます。
既に咲いた花をどうこうするのではなく、その種に目を向けていく。
それは、花の善悪を議論することでも、原因を探ることでも、分析することでもありません。現象をある様にする必然。向き合うのはそっちです。
外側と向き合っていても、その場しのぎになるかどうか。
また似たような悩みがやって、その度にまたおまじないのように、
自分に言い聞かせるということを繰り返していませんか?
自覚は思考や感情と向き合うのではなく、
思考や感情をある様にする私現象をある様にする私と向き合っていきます。
自分自身とまっすぐに向き合っていきたい方は、是非いらしてください。
「向き合う」というのは、自身の思考や言動を見て、反省するのではありません。
思考や言動をあれこれと判断して、反省していると苦しくなります。
思考や言動をあるようにする私と向き合っていきます。
そこには肯定も否定も判断もありません。
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