偽の素直さが、あなたの目を曇らせる。
- 古澤 慎之介
- 2024年4月12日
- 読了時間: 6分
素直に、まっすぐ、自分自身と向き合う。
この難しさは、本気で向き合おうとされた方が感じることです。
さて、素直さというのは、誰かの言うことを素直に聞くことではありません。
あなたの中の私に素直かどうか、これに尽きます。
素直なようで、お利口さんを演じている。
素直なようで、相手に合わせている。
素直なようで、いい人をやっている。
お母さんから見て素直。
恋人から見て素直。
上司から見て素直。
常識から見て素直。
社会から見て素直。 等々。
これらは「素直」とはかけ離れているように思いますし、
素直を"やっている"人も案外多いのではないでしょうか。
あなたの中の私に素直であること。
ここから、かけ離れると毎日は窮屈になっていきます。

どれが自分の本音なのかがわからない。
自分に優しくしようとか、自分の声を聞こうとした時、どれが「本音」なのか、わからない。
自分らしく生きようとした時、自分らしさがよくわからない。
このようなことは自分と向き合おうとした時に起きがちです。
本音はどこにあるのか、いったい私はどの私が本当の私なのか、見失っている状態とも言えます。
社会人ならこうでなくてはならないとか、
大人なんだからこうでなくてはならないとか、
男性なんかだら、女性なんだから、こうでならなくてはとか、
こういう時はこうするものだとか、
これは自分に向いてる、向いてないとか、
これが正しいとか、きっとこうに違いないとか、
挙げ出せば無数にありますが、このような常識・規定・想定・記憶・戒律・都合等に囚われていると、その囚われた思考の枠の中で自分を演じていきます。(演じている自覚はない場合がほとんどです。)
真面目で、優しいを"やっている"人ほど、これをやりがちです。
しかし、どこかで、故に損な役回りばかりだと感じたり、なんとなく窮屈さを感じたりしているのではないでしょうか?
人は好きだけど、人疲れしやすい人なんかも多いのではないでしょうか。
これは、あなたが、あなたの私を蔑ろにしているからそう感じています。
私を蔑ろにしたまま、何かしらの常識・規定・想定・記憶・戒律・都合等に囚われて、無自覚に自分を演じていると、目はたちまち曇っていきます。自分を見失っている状態です。
この自分を見失ったまま、本音で生きようとすると、傍若無人なわがままになりがちです。
あなたの私に素直に、真っ直ぐ向き合うこと。
さて、話を「素直」に戻しましょう。
誰かにとっての素直ではなく、あなたの私にとって素直に向き合っていく。
この時大切になるのは、冷徹に向き合うことです。
冷徹と聞くと、なんか怖い感じを受ける方もいるかもしれませんが、冷徹を辞書で引いてみると以下のようにあります。
冷徹(れいてつ):
[名・形動]感情に左右されることなく、冷静に物事を見通すこと。
また、そのさま。「—なものの見方」
「情」も一つの思考です。
何かに影響された私が向き合うと、向き合い方としてはズレていきます。
甘い私が向き合うなら、必然的に、甘い向き合い方になります。
情をかけて、甘い見方をした時、結果的に私を蔑ろにしています。
また、冷徹にと聞くと「厳しく」のような印象を持つ方もいると思いますが、厳しいというのもまた一つの思考です。厳しい私が向き合うなら、ジャッジしまくってしまい、必然的に、苦しい向き合い方になり、これもまた私を蔑ろにした向き合い方です。
情を挟まず、甘えなく、そのままの私に向き合う。
肯定も否定も判断もせずに、ただ向き合う。
これが葛藤なく、着実に「あなたの私」に向き合うために必須な向き合い方なのです。
冷徹に向き合うということは、どんな私も蔑ろにせずに、向き合うことなのです。
何よりも温かい向き合い方だと思いませんか?
「あなたの私」に素直に向き合っている時、そこに情や思考は介入しません、自由で晴れやかな向き合い方になっていきます。その晴れた空だからこそ、視界は良好になっていきます。
一人でやるよりもガイドがいるとスピードも精度も変わってくる。
向き合うのは、あなた自身です。
向き合うとき、この「情」や「思考」を挟み込んでいることに、なかなか気がつけなものです。
無自覚になっているが故に気が付きにくい。一体化しているが故に気が付きにくい。前提になっているが故に気が付きにくい。
が故に、どうしてもスピードも遅く、精度も低くなりやすく思考の枠組みの中で向き合うことになりがちです。
思考の枠の中で向き合っていても、思考がぐるぐるしたり、新たな思考を作りだしてそれに囚われたりすることもあります。
また、起こる変化や気づきという外側のことに毎度飛びついて掴んでいくと、ショッピングモールで、全てのお店の商品に片っ端から飛びつて歩くようなものなので、歩みは遅くなります。
思考の枠の中で自覚をしても「楽になった」と感じることもありますが、あらゆる枠を超えて自覚がある時、「楽になった気になっていただけだ」と思えるくらいの、広がりの中にいます。
自覚は、思考の枠の外で起きていくものでもあるので、(ここは、解釈しないでください。)その枠を自覚できないまま取り組んでいくよりも、その枠が見えているガイドと共に歩むことで、より葛藤なく、進んでいくことができます。
内側の道を歩むのはあなた自身ですが、私は、自覚の道を歩む先達として、その道のガイドをさせていただいています。
あらゆる思考、規定、常識、想定等から自由に。
私を生き、自分自身を活かす、人が一人でも増えていくことにつながるよう日々精進しています。
誰かにとっての素直ではなく、あなたの私にとっての素直になっていくと、傍若無人なわがままになることなく、のびのびと生きることができます。
どこかで、演じている私に気がついている方、もうそっちに飽きた方是非いらしてください。
窮屈さを感じているあなたに、もうその着ぐるみは必要ないのではないでしょうか。
「向き合う」というのは、
自身の思考や言動を見て、反省するのではありません。
思考や言動と向き合うと、あれこれと判断して、反省したり、
そうしている自分を責めたりしがちで苦しくなります。
思考や言動をあるようにする私と向き合っていきます。
そこには肯定も否定も判断も必要ありません。
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