99%の人がズレている、ストレスへの向き合い方。
- 古澤 慎之介
- 2024年5月20日
- 読了時間: 7分
この記事は、ストレスを溜めない考え方・捉え方であったり、
溜まったストレス解消法、というような表面的な話ではありません。
もっと奥底の根本的、本質的な話です。
まずは、私の失敗談からお話をしていきます。
私は、ゴリゴリ、ギラギラのビジネスマンでした。
どれだけ、成果、評価、対価を得ても、一瞬の満足だけで、何かが欠けていると、自分を磨く。
スキルや経験で武装して、どれだけ評価されようが、まだ磨き足りない感じがして、また武装する。何を得ようが、不足感を感じているという時期がありました。
広告会社の営業、ゲーム会社のマーケというキャリアを経て、フリーランスのマーケティングコンサルとして14年ほど仕事をしてきましたが、当然、仕事では、様々な人と関わります。
サラリーマン時代から、ムカつく人もいましたし、思うように成果がなかなか出ないことも多々ありました。当然葛藤も多く、ストレスも溜まります。
ストレスがかかった状態だと、必然的にパフォーマンスも低下していきます。自分自身が商品であるフリーランサーがパフォーマンス低下したら致命的です。
それを危惧した私は、
・いかにストレスを溜めないか。
・溜まったストレスをいかに解消して引きづらないか。
ここに着目して、あれこれと模索を始めます。
一見、真っ当に見えますが、これが大きな間違いだと気がつくのはだいぶ後のことです。

いかにストレスを溜めないかというポイントにおいては、
・物事の肯定的な側面を見る
・相手の良い面を探す
・とにかく目の前の作業に没頭する
・ムカつくという感情を引きずっている時には、コーヒーでも飲んで気を逸らしてみたり、今この瞬間は何も起きてないと言い聞かせてみたり、
まあ、この手のことを色々と取り入れていきました。
溜まったストレスを解消するためには、
・気の合う人とお酒を飲んでワイワイしてみたり
・自然の中を散歩してみたり
・瞑想を取り入れてみたり
・デジタルデトックスをしてみたり、
いわゆるストレス解消に良いとされる手法をあれこれと取り入れていきました。
幼少期から、我慢の天才と思えるくらい我慢するタイプだったため、「気になっていないフリ」は得意だったこともあり、このストレスへの対処法は、表面上の効果はあったように思います。
しかし、コレらはその場しのぎにはなることはあれど、内側ではいつも葛藤が起きていました。ムカつく私を蔑ろにして、あれこれと考え方をこねくり回して、その私に蓋をする。焦っている私を蔑ろにして、気にしない気にしないと、蓋をする。
ストレス解消法に至っては、ただ、目の前のことから、気を逸らしているだけでした。
そのことに薄々気づきながらも、「人生ってこういうもんだから」とか「社会人はみんな似たようなもん」と自分に言い聞かせては、さらに蓋を強固なものにしていきます。
前置きが長くなりましたが、あなたも、似たような経験があるのではないでしょうか。
さて、ここからが本題です。
ストレスの正体を見誤っていた。
ストレスは、ムカつくあいつが持ってくるものだと思っていました。
ストレスは、思い通りにいかない出来事が起きるから感じるものだと思っていました。
ストレスは、理不尽な社会が持ってくるものだと思っていました。
ストレスは、外側からやってくる。
自覚の道を歩む中で、この前提に大きなズレがあったことを痛感しました。
自分自身に冷徹に、甘えなく、真っ直ぐに向き合っていく中で、ストレスは外側からやってくるのではなく、ストレスは100%自分自身が起こしていたということがはっきりとわかりました。
何かしらの考えを握り込んだ私が、「あいつムカつく」と言い、何かしらの考えを握り込んだ私が、「うまくいかない」と言い、何かしらの考えを握り込んだ私が、「理不尽だ」と言う。
自分自身につけた考えや、良い悪いの規定、こうあるべきという戒律、こうなって欲しいという理想、こう見られたい、こう扱って欲しいという期待等々、様々な考えを握り込んでいる私が、ストレスを感じています。
これは無自覚な考えの奴隷状態とも言え、その考えを握る私の影響を受けていきます。
ストレスを在るようにする私という必然があるのに、起きたストレスを何かしらで軽減、
解消しようとか、ストレスを感じないような捉え方をしようとか、ストレスがあっても気を逸らして気にならないフリをしてみたり等々。
その場しのぎで、誤魔化し誤魔化しやっていた自分にとって「ストレスは100%自分自身が起こしている」というのは、衝撃的な理解でした。
もちろん、当時の私には、それが必要であったとも言えますし、一つの緩和・対処法とわかって活用していくことが必要な時期もあるかと思います。
無自覚に考えに囚われている私に、少しの甘えも、妥協もなく、自分自身と向き合えた時、気がついたら「ストレスを在るようにする私」から自由になっています。
ストレスを緩和・解消するのではなく。
ストレスを起こしている私から自由になっていくことこそ、ストレスへの本質的な向き合い方でもあります。
この話を聞いて、抵抗感を感じる方がいらっしゃることもよくわかります。
「いや、どう考えても、あいつのこの行為はいけないことやろ!」のようなことを思い浮かべたかもしれません。
その行為が一般的に良いか悪いかは、ある意味どちらでもいいのです。
それを議論し、相手を言い負かしたとしても、その場だけ、表面上、スッキリするだけです。
その「いけないこと」を在るようにしている私、その考えに引っ張られてイライラ、モヤモヤと感じ、怒りやストレスを在るようにしている私から自由になった時、「あいつ」に対する理解も自然と変わってきます。
あいつを許せるとか許せないの話ではなく、あいつに対する、アプローチ方法もまるで変わってきます。
自責だ他責だというような、浅いところの話だと捉えないでください。
ストレスは全て自分が作っていると言った時、
やれ、自責だ、他責だみたいな話になりがちですが、そういう浅いところの話ではないのです。
ムカつくあいつがいるなら、ムカつかないようにするのでもありません。ムカつく私を蔑ろにせず、否定も肯定も判断も解釈もせずに向き合っていく。
その私に答えが詰まっています。
あらゆる考えから自由になっていくと、雲ひとつない空のように、葛藤のない私が顕れてきます。
考えの奴隷から、考えの主人へ。
ストレスを溜めては、ストレス解消を繰り返す、
その自転車操業を繰り返すのに疲れたのであれば、向き合いましょう。
その「楽になった」はその場しのぎなのか、それとも本質的に楽になったのか。
あなたは、もう区別はできているはずです。
「向き合う」というのは、
自身の思考や言動を見て、反省するのではありません。
思考や言動と向き合うと、あれこれと判断して、反省したり、
そうしている自分を責めたりしがちで苦しくなります。
思考や言動をあるようにする私と向き合っていきます。
そこには肯定も否定も判断もありません。
●自覚カウンセリング
自分自身と向き合うことに卓越した自覚カウンセラーがあなたの悩みに一緒に向き合います。ご自身では自覚していない私、自覚していない囚われを一緒に丁寧に向き合ってきます。どのような私も蔑ろにせずに向き合うことで、対処ではなく本質的な解消に踏み出していきませんか。
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●自覚基礎コース
ご自身で自覚を実践されていきたい方は、自覚基礎コースをご用意しています。
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