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「人疲れ」という"あなたの中の私"からの示唆を無視しない。

更新日:2024年12月10日

嫌われたら、人生おしまいくらいに思ってしまう人がいます。

これを続けていると、「私」を見失いますので要注意です。


近年、ますますそういう人が増えている傾向があるように思いますし、

多くの場合、「嫌われたくない」と思っていることすら無自覚になっています。


 様々な方の相談に乗っていると、

人といるのは好きだけど、一人になった途端にどっと疲れがきたり、

途端に虚しさを感じたりするという方は案外多くいらっしゃいます。


いわゆる人疲れというやつです。





人は好きだけど、なぜか疲れる・・・という人は。

 このような傾向がある方は、人といることで自分は大丈夫だという「安心感」を得ようとしているかもしれません。


 安心感が欲しいのは、何かに属したり、誰かと一緒にいないと自分には価値がないのではという不安からやってきます。孤独が怖い、誰かといるから安心、このコミュニティに属しているから安心という感じになりがちです。


 不安だから安心を求めて、コミュニティや誰かにプチ依存しがちで、そこから外れることを恐れるが故に、誰かに合わせたり、顔色を伺ったり、愛想笑いをしたり、本来興味のない会話でバカ笑いをしてみたりということもあるように思います。


 不安であること、合わせていること、依存していること、これ自体が無自覚(無意識)になっているが故に、人といる時に、無自覚に繕っていたり、全方位の顔色を窺ったりしがちです。

人といるのは好きだけど「なぜか、疲れる」というのは、そういうことが起こっている可能性があります。


人といるのは好きだけど、なぜか疲れる人がやりがちなこと。


・いつも誰かの顔色を伺っている感じがある。


・自分を曲げてまで、誰かに合わせてしまいがち。


・一人でいるとなんとなく不安になることがある。


・孤独が怖い。


・人と会った後は、その場が楽しかったとしても、空虚感を感じる。


・褒められると嬉しいのに、どういう顔をしていいかわからない。


・とにかく嫌われないように振る舞う。


・本当は注目して欲しいけど、目立たないようにしている。


・たまに誰とも会いたくなくなる。


・背伸びしがち。


・社交的に振る舞うも、内心、人間関係はめんどくさいと思っている。


これらが全て当てはまる人は少ないかもしれません。

しかし、少しでも心当たりがあるのであれば、


「その私のまま、これからも過ごしていきたいか?」とあなたの内側に問うてみてください。


誰かに合わせ、偽りの自分を演じ続けていくのに違和感があるのであれば、

自分自身とじっくり向き合うタイミングかもしれません。


身だしなみは整えるにしても、心はどすっぴんで生きていくことで、

あなたの無自覚の苦悩は楽になっていきます。


なぜか、疲れる。

なぜか、苦しい。

なぜか、不安。

なぜか、怖い。


このような、理由が明確ではない苦悩に苦しんでいる方は少なくありませんし、苦しんでいるということすら無自覚になっている方もいます。


昨日まで元気だったのに、突如としてメンタルを壊す。

そのようなことになりかねません。


人に合わせるのを止めよう、演じるのを止めよう、本音で生きてみよう。

そう考えるかもしれませんが、それをやると余計苦しくなることがほとんどです。


どの様な私も蔑ろにしないで向き合う。

 不安な私がいるのに、その私を蔑ろにしたり、ないものとして行動だけ変えようとすると、行動と不安な私の間に「葛藤」が起こります。


 葛藤は、ブレーキをベタ踏みしながら、アクセルをふかしている様なものなので、色々と消耗するのは明白です。仮に前に進んだとしても、いつも不安な私が顔を出し、どこか怯えてしまい、なかなか続きません。


 そして、その続かない私をみて「ああ、私にはできない」「私はこういうタイプだから」と自分で創り出した殻に収めてしまいます。


人に合わせるのを止めよう、演じるのを止めよう、本音で生きてみよう。

これらをしようとしたとき、人に合わせたい私、演じたい私、本音を言えない私、不安な私、等々を蔑ろにしています。


巷に流れるなんとなくそれっぽいメッセージには「人の顔色なんて気にしなくていいんだよ!自分らしく生きよう!」とか「自分自身のありのままで生きよう!」のような、

それっぽく聞こえるだけの、表層的なメッセージは多くあります。


「人は人、自分は自分!気にしなくていいんだよ」みたいなメッセージも、"気になる私"を蔑ろにし、おざなりにしています。 この手のメッセージは、どれだけ高く見積もっても"その場限りの気休め程度"にしかなりません。(気休めになるのかも疑問。)


 どの様な私も蔑ろにせずに、丁寧に向き合っていく。否定も肯定も判断も反省もせずに、ただ、私を知っていく。


その時に、自然と緩み、広がり、手放そうとすることなく、手放している。気がつくと、気にならない私になっていく。


"なろうとせずに、なっている。"


向き合い方に卓越していくなら、これが当たり前になっていきます。


嫌われたくない私、好かれたい私、不安な私、安心したい私、人前で繕う私、演じる私、カッコつける私、人に合わせる私、自分の意見が言えない私、ビビる私、等々。


それらの私を蔑ろにせずに、向き合ってみる。


人といるのは好きだけど、なぜか疲れる。

それは、"あなたの中の私"からの示唆です。その示唆を流さず、機会として活かしていきましょう。

身だしなみは整えるにしても、心はドすっぴんで生きていく。


そういう方が一人でも増えていく社会になっていくと確信しています。今、自身の在り方に違和感がある方は、ぜひ一歩踏み出してみてください。


あなたの中の私と向き合うお手伝いをしています。本気で自身と向き合ってみることに興味があるのであれば、いらしてください。


規定、常識、思考、戒律、想定、記憶、あらゆる考えの囚われから自由になっていくと、想像の域を遥かに超えた"私"が顕れてきます。


誰かに合わせて、愛想笑いをすることもなく、そこから湧き出るまま顕すあなたは。太陽のように周りを照らしていきます。


 

「向き合う」というのは、自身の思考や言動を見て、反省するのではありません。思考や言動と向き合うと、あれこれと判断して、反省したり、そうしている自分を責めたりしがちで苦しくなります。思考や言動をあるようにする私と向き合っていきます。そこには肯定も否定も判断もありません。


●自覚カウンセリング


自分自身と向き合うことに卓越した自覚カウンセラーがあなたの悩みに一緒に向き合います。ご自身では自覚していない私、自覚していない囚われを一緒に丁寧に向き合ってきます。どのような私も蔑ろにせずに向き合うことで、対処ではなく本質的な解消に踏み出していきませんか。


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