意志の強さは関係ない!あなたが継続できない、たった1つの理由。
- 古澤 慎之介
- 2024年12月10日
- 読了時間: 6分
「やります!」「頑張ります!」
これまで生きてきた中で、何度この"ウソ"をついてきたでしょうか(笑)
親や、先生、上司に対してだけでなく、
自分自身に対しても、このウソをついていますよね。
「よーしやるぞ!」「がんばろっと!」
と心に誓っても、三日坊主とまでいかなくとも、1ヶ月も続かない。
心当たりある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
勉強、仕事、ダイエット、筋トレ、運動など、様々なシーンで起こっているかと思います。
そして、やらない、続かない自分を
意志が弱いとか、またできなかったと責めてみたり、
時間がなかった、やり方が悪かった、向いてない等とやらない・できなかった理由を正当化したりしがちです。
そして出来上がるのが「どうせ私は・・・」という規定でもあります。
そして、その規定の中に収まり続け、こじんまりとしていきます。
ここで断言しておきますが、
やろうと思ったことを継続できないのは、
あなたの意志が弱いから
・・・・・・・ではありません。
やろうと思ったことを継続できないのは、
あなたの志が低いから・・・・・・・でもありません。
やろうと思ったことを継続できないのは、
大きなビジョンを描いていないから・・・・・・・でもありません。
継続は力なり。誰でもそんなことはわかっていますが
わかっていることができない。

続かない理由はここにあり。
「よしやるぞー!」「これを頑張るぞー!」と思っても続かないのには、
「よしやるぞー!」「これを頑張るぞー!」と言っている私と、
いざやろうと取り組む私が"違う"ということにあります。
以前の私の例を持ち出してみます。
私は20代の頃、格闘技を観るのにハマっていたことがあります。
魔裟斗選手や山本キッド選手が活躍していたK-1や五味隆典選手やミルコ・クロコップ選手らが活躍していた頃のPRIDEの時期です。
友人らと集まってTV観戦しては盛り上がっていましたが、
観るたびに必ず「俺も絶対筋トレやってマッチョになるぞー!」と思うも、
日常に戻れば、今日は疲れてるからとか、
明日仕事だし、とか適当な理由で一度もやらない、やっても3日。
三日坊主の典型でした。
この私の例から見ていくと、格闘技を観て、選手がかっこいいなーと感じ、
よし俺も筋肉もりもりにして、かっこよくなりたーい!と考えた私が「頑張るぞ!」と言い出します。
そして次の日、家で筋トレのことを思い出すも、あまりやる気にならない・・・
この時の私は、よし俺も筋肉もりもりにして、かっこよくなりたーい!と考えた私ではなく、
本読みたい、ゲームしていたい、寝たい私が「面倒だな」とか「明日からやろう」とか「筋肉痛だと明日の仕事に響く」とか言い出します。
やるぞ!と言っている時の私は格闘技を観てアドレナリンが出まくっています。
いざやる場面になった時の私は全くの別人です。
別人というよりも、別の都合に囚われている私と言った方が近いかもしれません。
格闘技に興奮し、マッチョになってかっこよくなりたいという刹那的な都合に囚われた私が「やる!」と言い始めたわけですが、本を読んでいたい、ゲームしていたい、さっさと寝たいという都合に囚われた私にとっては「マッチョになってかっこよくなりたい」はどうでもよくなっているわけです。
あることに囚われた私が「頑張るぞ」といいまた別のあることに囚われた私が「面倒だ」という。
続くわけないのです。
仕事のシーンでもこういうことがよく起きています。
上司から怒られ「もっと頑張れ!」と言われ、
「はい!頑張ります!」と言っているのはこれ以上怒られたくないという都合に塗れた私が「頑張ります!」と言っています。
上司から褒められ「よくやってるね、この調子で頑張ってくれ」と言われ「はい!頑張ります!」と言っているのは褒められて嬉しい私が、また褒められたいという都合に塗れて「頑張ります!」と言っています。
どちらも都合の奴隷です。
そして、時間が経つと、今度は別の都合に影響されて「まあいいか」となるわけです。
これを意志が弱いからだと、意志の力でなんとかしようとするととても窮屈な感じになりがちです。
頑張るぞ!やるぞ!と決めた時の私の都合。
いざやろうとする時、続かない時の私の都合。
どちらも都合を握り込んだ私の「本音」です。
やるぞ!と言っている私はどんな私でしょうか。まあいいか!と言っている私はどんな私でしょうか。
どちらも都合を下せるなら、気合いも根性も不要で「ただやる」ということができる私になっていきます。
都合から自由になり、都合に影響されない私になる。
さて、都合を下すと言いましたが、
多くの場合、自分の都合とはいえ無自覚になっており、
無自覚が故に、簡単にその都合に影響されています。
無自覚と無意識はイコールでもあり、無自覚であるが故に、無意識のうちに影響されていきます。
自分自身と向き合うことに卓越していくなら、
無意識に潜む都合を自覚できるようになってきます。
その都合を握っている私と向き合えるようになってくると自然と緩み、
私が広がっていきます。
都合に影響されない私が何をするかを決め都合に影響されない私がそれをする。
そこに葛藤はなく、頑張ることなくただやる。
努力することなくただやる。
生き方がとてもシンプルになっていきます。
「やります!」「頑張ります!」
と言いつつ続かない。
そろそろ、そんな私から卒業しませんか?
改めてそういう私と向き合ってみる、それが卒業への第一歩です。
都合の奴隷から、都合の主人になった時、
その私から湧いてくる「これをやる」は、都合に塗れた「これをやる」とは全く別です。
その私で行動するなら、頑張ろうとすることなく「ただやる」ができるようになっています。
あなたは、あなたが思っているような存在ではありません。
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