自分教という教えから自由になった時、人間は人になる。
- 古澤 慎之介
- 2024年12月10日
- 読了時間: 4分
あなたはパートナーや家族、上司・同僚・部下、
友人のことを本当に知っているでしょうか。
それとも、
知った気になっているのでしょうか。
自分にとって都合のいい人を「優しい人」と言い、
そうでない人を「冷たい人」と言っていないでしょうか。
自分にとって都合のいい人を「いい人」と言い、
そうでない人を「嫌な人」と言っていないでしょうか。
自分にとって都合のいい人を「アイツはわかってる」と言い、
そうでない人を「わかってない」と言っていないでしょうか。
自分にとって都合のいい人を「気が合う」と言い、
そうでない人を「気が合わない」と言っていないでしょうか。
自分の都合に影響されて、自分の都合という枠の中で相手を無自覚・無意識にラベリングしています。
全ては自分のフィルターを通して世界を見ています。
自分の都合でラベリングし、 そのラベルを見て相手を知った気になる。
都合というフィルターで目を覆い、
そのフィルター越しに世界を見ています。
そこに無自覚であれば、人間関係、小難しくなりますし、簡単に事故ります。

相手を見ているようで・・・
毎日会社で顔を合わせる上司・同僚・部下。家で毎日顔を合わせるパートナー、子供、親、等々。
あなたが顔を合わせているのは、上司、同僚、部下、パートナー、子供、親ではありません。
あなたが見ているのは、あなたの考えです。
この人はいい人だ、この人はいけすかない、この人は怒りっぽい、この人は賢い、この人はわがまま、この人は優しい、この人は性格が悪い・・・等
その人につけている記憶というフィルターを通して見ています。あなたの記憶がベットリと塗られたそれを見ています。
その人そのものを見ているわけではありません。
自分がそう相手を規定して、その規定によって狭い世界を作り、その狭い世界の中に自ら籠り、その狭さを感じて「窮屈」だと言う。自ら作った考えを無自覚に握り込む。
無自覚故にその影響を受けてしまう。
それが人間関係が煩わしかったり、毎日がつまらなかったりする理由でもあります。
考えの奴隷から主人へ。自分教からの脱退。
自ら作った考え、自ら握り込んだ考え、それに影響されていたとしても、
多くの場合、自ら作った自覚、自ら握り込んでいる自覚がない場合がほとんどです。
人間は「自分教」という宗教の教祖であり、熱狂的な信者でもあります。
自分で握り込んだ考えの「間」で右往左往・一喜一憂しているから「人間」
自分教(戒律・規定・想定・戒律・記憶・常識、思い込み等々。)から自由になった時、
その自分教の枠から出て「間」がなくなり、「人」になり、そしてその先へ。
波から海へ、
私たちが、海ではなく、波である時、いくらでも分離できますし、
いくらでも議論でき、いくらでも争うことができます。
それが楽しい時もありますが、それに飽きたら、向き合うタイミングです。
なんとなく惰性で生きている、なんとなく同じような楽しみを追っている。
そんな私に関心を持ってみてください。
そこに答えが詰まっています。
波と一体化している時、自分教の枠にどっぷり浸かっています。
波と一体化している私を知る。それが自分教から第一歩です。
自分教の戒律から自由になった時、人間関係の煩わしさは、消えています。
どんな考えからも自由である。
どんな真実からも自由である。
どんな真理からも自由である。
それが自覚人です。
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